【レポ】「説明できないけれど知っている感情」を音にするバンド、FALSETTOS(180719 exPoP!!!!! vol.111 @渋谷O-Nest)
CINRA.NETが毎月開催する無料ライブ、exPoP!!!!!へ。
今回の出演者は以下。
- Amber's
- FALSETTOS
- 古川麦
- Michael Kaneko
- SIRUP
この日のexPoPは普段と比べると、三者三様ならぬ五者五様のラインナップ。
ジャンルやファン層もそれぞれ異なるであろう中、1組を除いて共通して感じられたのが「確かなポップネス」。仮に出演者の音楽を全く知らずに訪れた人がいるとして、そんな人でも惹きつけられるであろう音楽的なキャッチーさ、ショウマンシップ、エンターテイメント性が4組にはありました。
FALSETTOSの不可解さ
確かなポップネスを見せつけるアクトの中、最も異質で突出していたのが女性4人組バンドFALSETTOS。
実は7年前に渋谷屋根裏でVELTPUNCHを観に行った際に偶然彼女たちのライブを観たことがあったのですが、オルタナティブミュージックをほとんど聴いたことがなかった当時の自分は「!!?? こんなヘンな音楽があるものなのか...」と鮮烈な印象を受けたのでした。その衝撃はその後も忘れることなく、今年になり彼女たちが1stアルバムを出すことをタワレコのフライヤーで知り、「あのバンドだ!!!」となり、そして今回のexPoPで7年ぶりの再会となったのでした。
7年たってもその印象は大きく変わることなく、ポップさはところどころに感じられるけれど、脈絡のないような構成につかみどころを見出せない楽曲の数々に、改めて戸惑った、というのが率直な感想です。
説明できないけれど知っている感情
しかし、7年ぶりに改めてFALSETTOSを観て新たに感じたのは「名前がつけられていないけど確かに存在する感情の片鱗を音に昇華したバンド」というもの。
例えば「怒り」「悲しみ」などの誰もが認識する普遍的な感情は、多くの人に共有されている「名前」があるから、感じたときに「ことばで」説明できる。幼少期から大人にかけて、「今感じているこの感覚は、~~というのだ」ということを覚えていく。でもそうすると、ことばになっていない感情はさも存在しないものとして、見過ごされていくのではないか。もしくは、自分が知っている感情(名前がついている感情)のどれかに、「コレはこの感情だろう」と(無意識に思い込み)当てはめる。
そんな「多くの人が(おそらく経験はしているけど)感じられなくなった感情」を見過ごさずに捉えて音に変える、それがFALSETTOSではないか。そのため、「この感覚がなんなのか説明できないけど、決してわからないものではない気がする」、そんな感覚を覚えたのでした。
「この既視感や懐かしさの正体は何?」それがわかる保証も不確かだけど、もしわかりたいと思わせられて聴き始めたなら、それが彼女たちの魅力なのだと思う。もう一度聴くことに向かわせる「尻尾」は、ある気がする。#exPoP #FALSETTOS
— Yuki Tanaka (@ukimewomiruhibi) July 22, 2018
【レポ】分け隔てることのない馬喰町バンドの普遍性(180602@渋谷HOME)
川床のレコ発イベントにて、馬喰町バンドを観てきました。
これまで自分が足を運んできた馬喰町バンド出演イベントと比べると、少し異質というか、普段交わりにくいバンド同士の対バンのように感じました。
しかし、そんなイベントだからこその発見がありました。
フロアの盛り上がりがすごい
馬喰町バンド演奏時のフロアの盛り上がりがすごかった!オープンから参加していましたが、この日の出演者の中では一番盛り上がっていたと思います。かつ、自分が観てきた馬喰町バンドのライブの中でも、一番と言っていいんじゃないかという盛り上がりでした。
自分の推測ですが、今回のライブには馬喰町バンドのファンはそんなにいなかったんじゃないかと思います。では誰が盛り上がっているのかといえば、(これも推測ですが)おそらくライブの出演者を含めた初見の方たち。そういう人たちに馬喰町バンドの演奏がガンガンウケているのを目の当たりにして、「なんで初見なのにこんなにウケがいいんだろう?」と頭の隅で考えながら観ていました。
川床レコ発にて馬喰町バンド。普段交わらないシーン同士の対バンな印象。ですが、自分が観てきた中では一番と言っていい程フロアが盛り上がっていた印象。馬喰町バンドの魅力である、親しみやすく憂いのある歌メロ・土着的なリズム・それに乗るラップ・緩急ある曲展開などが凝縮されたセトリだからこそ pic.twitter.com/YPbmi7qZ35
— Yuki Tanaka (@ukimewomiruhibi) June 2, 2018
聴き手を惹きつける普遍的な要素
どこで盛り上がっているのかを見ていると、たとえば「曲の始まり」「テンポチェンジなど、展開の変わり目」「楽器のソロ」なんかで歓声が上がっている印象でした。
これらって音楽において、なんとはなしに聴いていて一番目につく部分だと思います。そういう、音楽においてとても普遍的な部分で、馬喰町バンドはめっちゃキャッチーで在ることができているのではないか!?と感じたのでした。
馬喰町バンドの醍醐味が詰まったセトリ
馬喰町バンドの曲は割と満遍なく良い曲が多いと、いちリスナーとして思っていますが(つまり代表曲とそれ以外の曲に、あまり質的に乖離がない)、この日のセトリはとりわけ良かったな~と思います。いうなれば、馬喰町バンドのおいしいところがわかりやすく打ち出されてる曲ばかりでした。
セトリは以下。
- 東京オーバードライブ
- ゆらゆら
- 在処
- なかうちくるまえくっとさけるまでゆけゆけ
- 五月
- わたしたち
- ヒトのつづき
"東京オーバードライブ"は民族音楽的な音階から静かにじわじわと始まる曲。儀式の始まりのような静けさから徐々に音が重なっていき、歌い出しでは畳み掛けるようなラップが繰り出され、ガッツリ心を掴まれます。オープニングとして馬喰町バンドの世界観に引き込んでいくにはぴったりな曲だと思っています。
途中切り込むように始まる尺八のソロも耳を引く聴き所になっており、歓声上がってました。
馬喰町バンドの"東京オーバードライブ"をApple Musicで
"在処"や"なかうち~"は途中でテンポチェンジがある曲。テンポが変わり曲の空気がガラッと変わる瞬間、私は聴く度にいつもえもいわれぬ高揚感や血の騒ぐ感覚を覚えていますが、この日のフロアの反応も同じで、こちらも特に歓声が上がる場面だったように思います。
また、この2曲も「曲の始まり」が印象的な2曲で、土着的なリズムから始まります。これに割とすぐに身体が反応して踊り始めている人がいたのが、自分は結構驚きでした。
民謡とか民族音楽のリズムって、やはり日本人を本能的に惹きつけるのではないか?
これがこの日最大の発見でした。
馬喰町バンドの武さんは「日本の伝統的な音楽も、ジャズなどの西洋音楽と同様に、自分たちから遠いものだ」という旨の発言をされていますが、意外に日本人にとってそんなに遠いものではないのではないか?
アメリカのヒップホップとかロックをやるのも、日本の郷土芸能をそのままやるのも、どちらにしろ自分たちはネイティブではないから違和感が残る。だったら、自分たちが自然と学んできたものだけで勝負しようというスタンスになって、「ゼロから始める民族音楽」というコンセプトを立てたんです。
盛り上げようとして盛り上がっているのではなく、例えるなら生活する中で笑ったり興奮したりする、その様子となんら変わりないフロアの盛り上がりの光景を見て、どんな聴き手にも障壁が現れることがないだろう馬喰町バンドの広大な可能性を垣間見たのでした。
【レポ】あらかじめ決められた恋人たちへ × contact Gonzoが問いかける演者と観客の関係性(171230 CROSSING CARNIVAL @渋谷WWW / 渋谷WWW X)
カルチャー情報メディアCINRA.NETが新たに始めたライブイベント。
渋谷WWW / WWW X、2会場での開催。
2組の異なるアーティストのコラボレーションによるライブが大半を占め、CINRA独自のキュレーションによる「ここでしか見られない」内容になっているのが特徴。
出演アーティストは、
- TOKYO HEALTH CLUB
- Young Juvenile Youth × HGRN
- Alfred Beach Sandal+STUTS × 林響太朗、水井翔
- あらかじめ決められた恋人たちへ × contact Gonzo
- Seiho × KID FRESINO
- CHAI × Negicco
- yahyel
全アーティスト観たのですが、初めから最後まで観られたのはCHAIとあら恋。その中から、今回はあら恋について。
あらかじめ決められた恋人たちへ × contact Gonzo
ほとんど音楽性を知らずに観たのですが、シューゲイズ的な空間を埋めるサウンド、曲後半で爆発する展開に一気に引き込まれました。今回のイベントは全体的にクラブミュージック寄りで、クールに聴かせるアーティストが多い印象でしたが、その中で最もロックしてた印象です。
そして特筆すべきは、コラボレーションしたcontact Gonzoという4人組のパフォーマンス集団。あら恋が演奏している間、客席に降りてきて観客の中に割って入り、互いに身体をど突き合ったり揉み合ったりするんです。その光景を見て、笑顔で歓声をあげる観客もいれば、まるで不審者を見るかのような眼差しを向けたり、もしくは目を背けたりする観客もいる。リアクションの内容はさておき、観客は部外者でいられなくなる。観客に「関与」してくる。「演者である・観客であるといった境界はなく、その空間全体で以って成立している」「ショーなのか、アートなのか、事件なのか、どう解釈するのか」。
音楽のライブって、「観る側」と「やる側」の境界を意識せずとも引いていて、それはともすると"see"になってしまうのではないかと個人的に思っています。再生ボタンを押せば当然流れ始めるビデオのように、「リアルタイムに」「一回性を以って」そこで繰り広げられているという事実を忘れ去ってしまっているということが、特にライブに頻繁に足を運んでいる人なんかには起こりえるのではないかと思います。今回のcontact Gonzoのパフォーマンスを目の当たりにして、「何が起こるかわからないという"予測不可性"を孕んでいる、それこそがライブである」「目の当たりにしていることが一体何であるのか、その"解釈"を委ねられる、それこそがライブである」、そういったことを改めて考えさせられました。